はじめまして。松風ストリート編集部のてるです。
早いもので、このサイトも公開して1ヶ月半が経ちました。暦は冬土用に入り、立冬に向け着々と寒くなってきて鍋が美味しい季節ですね。
暖かい日差しのもと、海岸公園で動き回るのが大好きなわたしは既に夏を恋しく思っています。
実は、松風ストリート編集部6人のうち、わたしはサイト制作に関わっていない唯一の人間です。(近所のご縁もあって、公開後に編集部の仲間に入れてもらいました。)
今日は、せっかく文章を書き連ねさせてもらうのだから、松風ストリートのキーワードでもある「暮らしをつくる」が、改めてどういうことなのか少し考えてみようかなと思います。
生意気にも、編集部のみんなが推敲を重ねて編み出した大事な言葉について、背景をよく知らない新入りが勝手にツラツラと再考してみようというのです。
読んでくださるみなさんも、自分にとって「暮らしをつくる」ってどういう感覚なんだろうと改めて考えるきっかけになったら嬉しく思います。
「暮らしをつくる」ってなんだろう。
わたしの経験として、少なくとも東京で生活しているときなどには「暮らしをつくる」という感覚を持てたことはありませんでした。
それは、「自分自身が街の構成要員である実感がなかった」からだと思っています。忙しい街で、とりあえず空いているお店に入り、必要なものをなんとか消費しながら生き延びる。どちらかというと「東京という街に、わたしの生活がつくられてしまっている」という方がしっくり来るかもしれません。
なんだか街の暮らしに自分という存在が作用していなかった。大げさに言うと「その街にあなたがいてもいなくても変わらない」という感じでしょうか。
─そして松風ストリート沿いに引っ越してきたのは、約1年半前。少し感覚が変わります。「自分自身や身近な人たちの行いは、街の暮らしにも多少なりとも影響するよな」と思えるようになりました。
ひとりの人間として、ご近所とも活発に関わり合い、温かい気持ちで接してくださるステキなお店の方々と快くつながる。そんな暮らしから生まれた良いエネルギーの交換は、どこかでまたポジティブな空気を作り出しているに違いないと思うことができます。
目尻にステキな皺のできているおじちゃんが楽しそうに柴犬と話している姿を見つけると、こちらまで良い気分にしてもらえます。
近所のお店で、心から良いものを店主から紹介されると、「今度仲間にシェアしようかな」と嬉しくなります。
そんな空気から生まれる、次の自分の行いも何か温かみのあるものになる気がします。
あれ、これが「暮らしをつくる」ということなのかも?
みんな「暮らしをつくる」し、みんな「暮らしにつくられている」
この街での暮らしをあれこれ考えていると、こんな風に思えてきました。
「わたしたちはそれぞれ、自分自身の暮らしをつくっている。だけど、みんなの暮らしが重なり合わさって出来上がる街の暮らしに、わたしたちの暮らしもつくられている。」
そう思えると、この街での暮らしの見え方が変わって、ちょっとだけ豊かに感じられませんか?
そして、松風ストリートではこんな豊かさをどんどん醸成していけるようなきっかけをどんどん作り出していけたらいいなと、わたしは思っています。
ここまで「暮らしをつくる」について、わたしの想像で勝手に書いてしまいました。真意については、他の編集部員が書いてくれるかもしれませんし、わたしがこっそり確認して我が物顔で記事にするかもしれません。笑
最後まで読んでくださりありがとうございました。
また次の記事でお会いしましょう。それでは、良い暮らしを!
記事を書いた人:てる