編集長樋口の原チャで行こうvol.1 〜全国の町を訪ねながら考えたこと〜

エッセイ

編集長樋口の原チャで行こうvol.1 〜全国の町を訪ねながら考えたこと〜

2022.06.27

こんにちは、編集部のひぐです。私、5/2から日本縦断の旅に出ています。

きっかけは松風町で近所の友人と暮らす豊かな時間の積み重ね。近くにいるからこそできる暮らしを重ねるうちに、いつしか「他の地域では、どんな暮らしがあるんだろう?」と考えるようになりました。他にも理由はありますが、そんなこんなで今は松風町を離れて、旅の最中を過ごしています。

これから、旅の中で感じた「暮らし」にまつわるあれこれを考えていけたらと思い、暮らしの地域比較論、はじめます。

初回は海の暮らしと山の暮らしについて。

海のそばでの暮らし

松風町での暮らしをはじめて3年ほど。家から10分も歩けば海に行ける環境が、当たり前になっていました。その恩恵を受けていたことは言うまでもなく。ビーチバレーをしたり、ボディボードで浮かんでみたり。ときどき、ビーチにある飲食店SUCCAさんでチキン南蛮をオーダーする。山盛りのポテトに大きなチキン、ライスも乗ったプレートにお腹がはち切れそうになりました。

潮風が吹いている毎日が当たり前にあって、そのことが生み出す空気感も確かにあったことを、旅に出てから気づかされました。

当たり前じゃなかった今までの暮らし

日本縦断をはじめてからというもの、海のそばでの暮らしに出会う機会はそれほど多くはありませんでした。島を除けば、歩いて海に行くことができる町は鹿児島県頴娃町と宮崎県都農町の2つの町だけ。(余談ですが、日本全国の海水浴場の数は1,079箇所みたいです。)

一方、多かったのは街や山での暮らしでした。

開発が進んだ街の暮らしは煌びやかで、山に囲まれた暮らしは素朴でいながら強さを持ったもの。山での暮らしを友人が住んでいる、大分県の耶馬溪で体験してきました。

海の暮らしと山での暮らし

同じ自然でありながら、まったく違う自然。それが海と山。それゆえに、それぞれの暮らしにも違いを感じました。

まずは海。自由な気風が広がっているように思います。それは海に限りがなくて、どこまでもオープンであることが理由なのかもしれません。

一方、山の暮らしはどこか職人気質なところがありました。自給自足の畑暮らし、サウナ小屋すら自分たちでつくりあげる、ないものを自分たちでつくる姿勢が印象的でした。

自由な気風の海の暮らしと、自らつくりあげる山の暮らし。

知らず知らず、気の合う場所で暮らしを送る

どうして、そんな違いが生まれるんだろう。

まったく確証はないですが、ヒントは食文化があるように思います。

海のそばでは漁によって食べ物をいただきます。養殖になると話は別ですが、基本的には狩りの姿勢。一方、山では稲作や畑など、「育てる」ことを中心に、自分たちの暮らしをつくりあげています。

現代社会では買い物にいけば、色んな食べ物が楽しめるので忘れがちですが、これらのことはまったく関係ないようで、実は関係あるのかも。

知らず知らずのうちに、暮らしのスタイルやフィットする雰囲気は規定されているのかもしれません。

余談ですが、松風町で一緒に過ごす人たちはなぜか末っ子が多い一方で、山でシェアハウスをしていた人たちは長男長女が多い傾向にあったのも、何か関係があるのかも?

いたるところにある暮らし

まどろっこしい話をしましたが、1ヶ月半旅をして思うのは、あらゆるところに暮らしがあるということ。

夜、山道を走るとき、集落のそばであっても見知らぬ町には恐怖を覚えます。でも、ひとたびそこに暮らす人たちと関わりを持ち、過ごしてみると安心できる風景へと様変わりします。

日本のどこにでも暮らしはあって、それぞれが日々、「暮らし」をしています。日本だけでも1億人もの営みがあって、そんな中でたまたま近所に住む人がいる。

同じ町に魅力を感じた人たち同士、きっと共通点があるのだと思います。たまたま近くに住んだだけということであるものの、明らかに奇跡的な巡り合わせ。そんな繋がりを大事にしていけたら、いつもより少し愛着を持った暮らしにできるのかもしれません。

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